スピリチュアルケアの現場から

私たちは、ケアを受ける方をゲスト、ケアワーカーをホストと呼んでいます。
なぜならケアを受ける方の人格を尊重し、病気についてではなく、その方の存在そのものと向かい合いたいと考えるからです。

「此処にいてもいいですか?」「いいよ。居てくれるだけでいい」

出会いから4ヶ月、抗がん治療に前向きに挑戦していました。「仲間に会いたい」その気持ちが支えのようでした。「負けてたまるか」「突っ張って生きてきた」そのゲストの生き方は人や家族を遠ざける原因となっていました。「散々好きなことをしてきたから悔いはない」そう仰いました。

この日、「一進一退、調子が悪くて、話したいけどあんまり出来ない。ごめんね」と仰って、初めの会話になりました。
「人ってさ、話してみえてくるよね」「話すことって大事だけど難しいんだよね」
今までを振り返っているかのようでした。ゲストの口から何度も「ありがとう」と感謝の気持ちがこぼれてきました。
「ツッパリがなくなって優しい○○さんになりましたね」というと「ありがとう。前は突張ってた。突っ張らざるを得なかった」と。

自分を解放して数日後、旅立たれました。

「私変わったんです!」

初めて病室で会った時、ゲストは沈んだ顔をして「今まで何度も入院したけれど、誰とも話したことがなかった」と言っていた。心を深く閉ざしていると感じた。

4回目にゲストを訪ねた折には「私変わったんです」と笑顔で迎えてくれた。入院している同じ病気の方たちの前向きな生き方に励まされて、自分の生き方を振り返り、以前は「何で私がこんな病気になったの?」「私は苦しんでいるのに、母は冷たい!」など不平ばかり言っていたことに気づいたと言う。「でも今は母も辛かったんだろうなと思えるようになって、本当に有難い。病院の方たちも皆優しくて、感謝でいっぱいなんです」

その後何度も退院の予定が変更になって落ち込んだこともあったが、初めての一人暮らしに向けて計画を立てることに集中し、自立を目指している。

「これからずっとマリアさんと一緒に生きて行くんだね」

ゲストの男性は喉頭がんの手術をして声が出なくなってから、以前よりとても話をしたがるようになって、ノートに次々と文字を書いては私に気持を伝えるようになった。

56才で亡くなられるまで9年間の関わりだったが、最後の年は、がんが舌や首のあたりに転移していた。

初めのうちは、退院してアパートに戻ることを望んでいたが、次第にそのことは言わなくなり、「長生きできるんだろうか」「生きるって素晴らしい」「マリアさんの夢を見た」「これからずっとマリアさんと一緒に生きて行くんだね」と、安心した様子で言い、すでに死を受け入れている人の落ち着きが感じられるようになった。

ご家族に対するスピリチュアルケア

病室に入りますとゲストはこん睡状態で最期の時をむかえていらっしゃいました。
御家族6人が見守って、本当に静かで温かい大切な今の時を感じました。

そんな中、静かに御主人がお話ししてくださいました。奥様と出合った時からのいままでの人生を、思い出すように一つ一つ大切に、それは奥様に語りかけていらっしゃると思いました。私は御二人の大切な人生を受けとめ聴かせて頂きました。
話が終わると、ゲストが趣味で始めた個展の作品の写真集を見せてくださいました。ゲストの歩かれた人生は、今ここにいらっしゃるみなさまの宝なのだ、と感じ受け止めました。私はゲストとは何度かお話を伺いましたが、ご主人とは初めての出会いでした。ゲストはその翌日亡くなられました。

ケアの体験者から

話をしようと思って思わず深いため息をついてしまいました。なぜ?と聞かれ「何を言われるのか怖くて・・・」と応えました。

子供の頃から感じていた胸のうちを話しました。「姉に比べて私は・・・」「大人になっても姉の前では妹なんです」「私って、自信がないんです」。話し終えたところで「今どんな気持ちですか?」と聞かれました。ハッとしました。何だか軽くなった自分を発見しました。

長い間、兄弟へのわだかまりが自分を縛っていた事に気付きました。慰めや批判をせず耳を傾ける人の存在が私自身を映し出す鏡のようでした。自己否定から自己肯定へ歩みだす一歩になりました。